ZFONの日記

こんにちは!ZFONです。 ゲームは人生!このブログは、私が心の底から愛するゲームの世界を、独自の視点で深掘りする場所です。熱烈レビュー、時にはゲーマーの日常まで、あなたのゲームライフをもっと豊かにする情報をお届けします。どうぞよろしく!

東京食肉市場まつりで、豪華な飯を食べるはずだった話

今日は職場の近くで「東京食肉市場まつり」が開催されていた。

食肉祭り。なんとも食欲をそそる名前じゃないか。

とはいえ、特に何かを買うつもりはなかった。

ところが昼休憩に入る時、同僚からこんなことを言われた。

 

「じゃあ今日の、豪華なランチ食ってください!」

豪華な飯……。

いい響きだ。

たしかに、せっかく近くで開催されているんだし、たまにはちょっと贅沢するのも悪くない。

そう思った私は、食肉祭りを覗いてみることにした。

 

豪華な飯は、値段も豪華だった

会場にはたくさんの人がいて、なかなかの賑わい。

さすが食肉祭り。

さて、肝心の弁当はというと……。

1,200円。

1,500円。

たっけぇ!!

いや、わかるよ。

食肉祭りなんだから、きっといい肉を使っているんだろう。

実際、それなりにうまそうではある。

でもなぁ……。

私が昼飯に求めている金額とは、少々かけ離れている。

800円くらいだったら買っていたと思う。

でも1,200円となると話は別だ。

400円も違うじゃないか。
その400円が惜しいんだよねぇ……。

しばらく考えた結果、私は静かに購入を断念した。

豪華な飯への挑戦、終了。
いや、早すぎるだろ。

 

そして、本日の昼飯がこちら

※写真を撮る前に食ってしまったので、AIで再現しました。

ソース焼きそばパンと、いちごミルク。

合計約200円。

ちなみに、焼きそばパンは前日の夜にまいばすけっとで購入。いちごミルクは自販機で買ったもの。

つまり、最初から昼飯は用意してあった。

同僚の一言に触発され、ちょっとした贅沢を夢見たものの、結局いつもの昼飯に戻ってきただけである。

食肉祭りで肉を食わずに、焼きそばパンを食う。

まあ、焼きそばパンもうまいんだけどね。

ちなみに、タンパク質は持参したソイプロテインで補給している。

肉を食べなくても、タンパク質は摂れるのだ。

……そういう問題じゃない気もするが。

豪華な飯、食べましたか?

さて、一つ問題がある。

「豪華なランチ食ってください!」

そう言ってくれた同僚に、もし何を食べたのか聞かれたらどうしよう。

「焼きそばパンといちごミルクです!」

正直に答えるべきか。

それとも、豪華な弁当を食べたことにするべきか。

いや、わざわざ嘘をつくのも申し訳ない。

かといって、あれだけ勧めてもらっておきながら、結局200円の昼飯というのもなんだか悲しい。

この何とも言えない気持ちは、一体何なんだろう。

虚しさ、だろうか。

そもそも、たまの贅沢に1,200円すら出せない自分が情けない。

私はケチなんだろうか。

いや、違う。

金がないだけだ。

……もっと悲しくなってきた。

そんなわけで、今年の東京食肉市場まつりは、焼きそばパンといちごミルクで終了しました。

ごちそうさまでした。

一緒に遊びたい。でも約束はしたくない。

オンラインゲームって面白いよね。

知らない人と出会って、一緒に冒険したり、協力したり、競争したり。

私は昔、そんなゲームに夢中だった。

でも、一つだけ苦手なことがある。

 

ゲームをする約束だ。

 

いや、人と遊ぶのは好きなんだよ?

むしろ一人で遊ぶより、人と関わるゲームのほうが長続きするくらいには好き。

なのに、約束となると途端に面倒になる。

なんでだろうねw

 

偶然出会うから面白かった

昔のオンラインゲームでは、好きな時間にログインしていた。

すると、たまたま知っている人がいる。

「お、いたんだ」

そんな感じで一緒に遊び始める。

特に約束していたわけじゃない。

何かを手伝ったり、一緒に敵を倒したり、ときには競い合ったり。

そして、時間になれば気軽に別れる。

「じゃあ、また!」

それで終わり。

次に会うのが明日なのか、来週なのかもわからない。

でも、それでよかったんだよね。

誰かと遊ぶ楽しさはあるのに、お互いの時間を縛る必要がない。

私は、そんな距離感が好きだった。

 

毎週土曜日の20時に集合?

では、こんなことを言われたらどうだろう。

「毎週土曜日の20時に集合しよう!」

……。

ちょっと待ってくれ。

なんでゲームにまで予定を入れなきゃいけないんだ?w

土曜日の20時に何をしていたいかなんて、土曜日にならないとわからないじゃん。

眠いかもしれない。

別のゲームをしたいかもしれない。

そもそも、何もしたくないかもしれない。

もちろん、仲間と予定を合わせて遊ぶのが好きな人もいると思う。

でも、私はちょっと苦手。

ゲームは自分の好きなときに遊びたいんだよね。

 

好きなことが義務になる不思議

考えてみれば、ちょっとおかしな話だ。

誰かと一緒に遊ぶのは楽しい。

でも、誰かと一緒に遊ばなければならないとなると、途端に気が重くなる。

同じゲームなのに、何が違うんだろう?

たぶん、自分で選べるかどうかなんだと思う。

今日は遊びたいからログインする。誰かがいたら一緒に遊ぶ。疲れたらやめる。

そんな自由さが、私にとっては大切だった。

好きなことでも、決まった時間にやらなければならなくなると、どこか仕事みたいに感じてしまう。

せっかく自由に遊べる世界なのに、そこでまで時間に追われたくないんだよね。

 

ゲームに求めていたのは、自由だった

昔はオンラインゲームの何がそんなに面白かったのか。

誰かと協力すること。

誰かの役に立つこと。

自分の行動に対して、ほかのプレイヤーから反応が返ってくること。

どれも楽しかった。

でも、そこにはもう一つ、大切な条件があった。

自分の意思で参加できること。

誰かに誘われて遊ぶのもいい。約束して集まるのも、それが好きな人にとっては楽しいはず。

ただ、私は偶然出会って、気軽に一緒に遊ぶ関係のほうが性に合っている。

人とのつながりは欲しい。

でも、時間までは縛られたくない。

……我ながら、なかなか都合のいいことを言っている気がする。w

とはいえ、ゲームは楽しむためのもの。

自分に合った遊び方を選べばいいんじゃないかな。

さて、久しぶりにオンラインゲームでもやってみようか。

誰かと偶然出会えたら、それも面白そうだ。

 

ただし、一つだけお願いがある。

次に遊ぶ約束はしないでくれ。w

ゲームに飽きたわけじゃない。なのに遊ばなくなった。

昔はゲームばっかりやってたんだよね。

何時間遊んでも飽きないし、同じゲームを1,000時間遊んでも、まだまだ遊び足りない。そんな私も、今ではすっかり大人になった。

そして最近、あることに気づいた。

 

全然ゲームやってないじゃん。

 

ついにゲームに飽きてしまったのか?

いや、そんなことはない。

 

今でも遊びたいゲームはあるし、自由な時間が何日もあれば、また夢中になれる自信がある。

じゃあ、なんで遊ばないんだろう?せっかくだから、ちょっと考えてみた。

 

ゲームより現実のほうが面白くなった?

 

大人になると、現実でできることが増えていく。

仕事をしてお金を稼いだり、誰かの役に立ったり。ゲームの中で得ていた達成感や、自分が必要とされる感覚を、現実でも得られるようになるんじゃないかな。

もしかすると、ゲームに飽きたんじゃなくて、現実にも面白さを見つけたからなのかもしれない。

 

……なんて、ちょっと立派なことを考えてみた。

 

じゃあ、私も現実が楽しくて仕方ないのか?

いや、そういうわけでもないんだけどさw

どうやら、もっと単純な理由がありそうだ。

 

時間があれば遊べる、とは限らない

例えば、今から2時間自由に使えるとしたら何をするだろう。

ゲーム?

いや、寝たい。

とにかく寝たい。

 

ゲームが嫌いになったわけじゃないんだよ。

ただ、今は犬の介護もあるし、やらなきゃいけないこともある。明日のことを考えると、なかなかゲームに没頭する気になれない。

遊び始めれば、きっと楽しい。

でも、時計を気にしながら遊ぶのと、何も気にせず遊ぶのでは違うんだよね。できれば何日も自由な時間が欲しい。

 

そう考えると、一つ気づいたことがある。

ゲームをする時間と、ゲームを楽しめる余裕は別物なんじゃないか?

 

じゃあ、どうすればまた楽しめる?

もし昔ほどゲームを楽しめなくなったとしたら、まず考えたいことがある。

本当にゲームに飽きたのか。それとも、楽しむ余裕がなくなっただけなのか。

ここを間違えると、新しいゲームを買っても、結局遊ばずに積んでしまうかもしれない。

 

ゲーム自体に飽きたなら、別のジャンルを試してみるのもいいと思う。

でも、疲れや予定が気になって遊べないなら、必要なのは新しいゲームじゃない。

まずは十分に休むことだったり、気兼ねなく遊べる時間を確保することだったりするんじゃないかな。

 

もちろん、毎日少しずつ遊ぶのもいい。ただ、私みたいに何日もじっくり没頭したい人間には、短時間のプレイが合わないこともある。

無理に遊ぼうとして、ゲームまで義務になってしまったら本末転倒だよね。

 

結局、ゲームを卒業したのか?

 

ここまで考えてみたけど、私はゲームを卒業したわけじゃなさそうだ。

 

今でもゲームは好きだし、遊びたい気持ちもある。ただ、昔みたいに好きなだけ遊べる余裕がなくなった。

大人になってゲームをしなくなった人も、みんながゲームに飽きたわけじゃないと思う。

 

もし今でも遊びたいなら、無理に楽しもうとしなくてもいい。また楽しめるときに、遊べばいいんじゃないかな。

さて、ここまで書いていたら、ちょっとゲームがしたくなってきた。

久しぶりに何か起動してみようか。

 

……。

 

いや、まず寝よう。

 

ゲームを楽しむためにも、体力は必要だからね。w

【ZFONのゲーマー日誌】『Project Zomboid』は新たな「居場所」をくれる究極のサバイバル!

こんにちは、ZFONです! 皆さんお気に入りのゲームで遊んでますか? 私は最近『Project Zomboid』というゲームをプレイしています。新たな「居場所」を探しているあなたへ、ぜひお勧めしたいですね。
まずは、このゲームがどんなものか、軽く紹介します。今ではもう、私の生活の一部になりました!

 


『Project Zomboid』とは?

・究極のゾンビサバイバルシミュレーション

・圧倒的な自由度と奥深いクラフト・拠点構築

・何度でも挑戦できるリプレイ性

 

このゲームはまさに、「プレイヤーが如何にして死ぬかの物語」です。

荒廃した世界で、食料や道具、建築資材まで、あらゆるものを探し出しては自分の隠れ家に運び込む。地道な作業なんですが、これがとてつもなく楽しい。

そして、アイテムの組み合わせが膨大です。食べ物だけでも鍋に肉や野菜、ボウルにサラダ、フライパンに卵や肉を組み合わせたりと風味づけが豊富すぎるほどです。武器はそれぞれが修理できたり、槍にまた別のナイフなどを組み合わせなどもできます。

これほど自由度があるゲームを私は見たことありません。

 


油断禁物!予測不能な緊張感がたまらない

でも、油断は禁物。物漁りに夢中になっていると、背後からゾンビにガブり!ゲームオーバー。

そんな物語が楽しいゲームです。

この予測不能な緊張感が、プレイしていて本当に楽しい!

昨日はたった1匹のゾンビに攻撃を外して噛まれた時は思わず「嘘でしょ!」って叫んじゃいました。

急いで体の状態を見ると服のおかげで傷にはならず感染は免れてました。
危なかった〜。

 


まだまだ進化中!今が始めるチャンス!

終末世界で生き残る厳しさ、物資をコツコツ集める楽しさ、そして予測不能なスリルが詰まった『Project Zomboid』。

開発して10年以上経ちますが、未だに早期アクセスです。
今Steamはサマーセールで、33%の割引になっていますね。

 皆さんもぜひプレイして、新しい「居場所」を見つけてみませんか?

store.steampowered.com

 

 

【体験談】ゲームを諦めきれなかった私の、新しい生き方

こんにちは、ZFONです。

皆さんは、好きなものと向き合う中で、その「好き」が時に、自分の目標達成を妨げる。そんな葛藤を経験したことはありますか?私にとって、それは学生時代のゲームでした。今回は、学業に専念するため、私がゲームとどう向き合い、どんな選択をしたのか。そして、そこから得られた大切な気づきについて、お話ししたいと思います。

 

 

 

 

 

 


【ゲームか学業か 二度の高校生活で揺れた心】

私の学生時代、学業とゲームの間で揺れ動く中で、高校生活自体も波乱に満ちていました。私は高校に二度通ったんです。一度目の男子校は途中で中退し、その後は、自宅でレポートを書きながら、月に数回通学する通信制高校へ転校しました。

通信制高校での生活は、学業に専念する良い機会だと思いました。しかし、この時期、私はある大きな喪失感と向き合っていました。

2000時間以上プレイした『モンスターハンター』のセーブデータが壊れてしまったんです。
名残惜しい気持ちがあり最初から再開してみたものの、あの深い喪失感からか、どうにもモチベーションが続きませんでした。それから次第にゲームから距離を置くようになりました。

 

 


【普通への憧れとゲームへの再燃】

当時、私は自分に劣等感を抱いていました。世間一般の人がそうするように、テレビで流行りの話題を楽しんだり、外で野球をしたり、友達とたくさん遊んだりすることこそ、あるべき姿だと思っていたからです。 一度そういった生き方を諦めた私ですが、再び世間並みの生活を送ろうと決意したんです。 だからこそ、「これでようやく皆と同じような暮らしに戻れるはずだ!」と、学業に集中しようと強く意気込みました。

最初のうちはゲームと離れて学業に努めていたんです。
しかしゲームのない日常は、どうにも満たされないものでした。その日々の不満が積もっていき、私のゲームへの情熱は、形を変えて再び燃え上がってしまいました。私の居場所でもあったゲームを諦めることなど到底できず、休みの日はゲーム屋に足を運び、面白そうなソフトを探し回っていました。そして、運命の出会いを果たしてしまったのです。

 

 


【私を夢中にさせたゲームたち】

当時、一気にエンディングまで見たいと3日徹夜してまで遊んだのはPS2の『.hack//G.U.』でした。 このゲームはゲーム内オンラインゲームを舞台に、人間関係や謎を深掘りしていく物語で、本当にハマりまくって、エンディングまで一気に駆け抜けましたね。
他にも、『チョロQHG2』は、オープンワールドの世界を旅しているだけで楽しく、気づけばエンディングまで遊び尽くしていました。 また、『エヴァンゲリオン2』では、その世界での生活があまりにも楽しく、ずっとゲームの中に浸っていました。

 

 


【自分を見つめ直し、本当の「好き」と向き合う】

時に、私たちは理想や世間の目に囚われて、本当の自分を見失いそうになることがあります。私自身も、「こうあるべきだ」という理想に縛られ、ゲームへの情熱を抑えつけようとしました。 しかし、そうして得られた日常は、どうにも満たされないものだったんです。

この経験から私が学んだのは、時には立ち止まって自分を見つめ直し、本当の自分が何を望んでいるのかを知ることの大切さです。私の場合、それがゲームでした。ゲームを単なる娯楽としてではなく、「もう一つの人生」として受け入れることで、私は自分を肯定できるようになりました。

もし今、あなたが好きなこととの間で葛藤し、自分を責めているのなら、どうか思い出してください。あなたは一人じゃありません。 私のように、ゲームの中に「居場所」を見つけ、自分らしく生きることを選んだ人もいるんです。あなたの「好き」を理解し、認めてくれる人は必ずいます。

【体験談】ゲームが私の居場所になった理由:モンハンからサバイバルゲームまで

皆さん、こんにちは。

突然ですが、あなたは人生で「ここが私の居場所だ」と感じた瞬間はありますか?私にとってそれは、新たな世界と、かけがえのない居場所を与えてくれた『モンスターハンター』の世界でした。私のように、ゲームを単なる娯楽以上の『もう一つの人生』として捉える方、あるいは純粋にゲームを楽しむ方も、私の体験や視点を通して、皆さんのゲームライフに新たな気づきや共感をお届けできれば幸いです。

 

【私の居場所】現実世界で見つけられなかった、ゲームと繋がった絆

 

それまで、私は一人でゲームに没頭するのが当たり前でした。初めてのオンライン協力プレイは、正直言って戸惑いの連続。でも、「仲間が欲しい」という強い衝動に駆られ、思い切って自分で掲示板を立ち上げてみたんです。そこから、ゲームの枠を超えた深い交流が始まりました。

モンスターを協力して倒し、ゲーム内の酒場で祝杯を挙げる。時には静かにジョッキを傾け、酔いつぶれては、マイハウスのベッドで眠りにつく――。そんな「ゲームの中での生活」を想像することこそが、当時の私にとって何よりも現実的で、唯一生き生きとできる時間でした。

彼らとの交流はゲーム内だけに留まりません。掲示板で悩みを打ち明けると、「学校だけは卒業しておいた方がいい」と説得してくれました。見知らぬ誰かと笑い、悔しさを分かち合う中で、私は人との繋がりの温かさを知りました。今ではほとんど連絡が途絶えてしまいましたが、一人だけはたまに連絡を取り合っています。

そして、人との交流で得た温かさ、そして2000時間以上プレイしたモンスターハンターのセーブデータが突然壊れてしまったこと。これらが重なり、私にとって大きな転機となりました。この経験が、学業に向き合う大きなきっかけとなり、私は無事に中学、高校を卒業できたんです。

 

ゲームが人生の転機に:「究極の生活感」を追求するサバイバル体験

 

今も私はゲームの中に「もう一つの人生」を求めています。日夜PCゲームをチェックし、まるでそこに住んでいるかのような「生活感」を追求した新しいゲームの登場を夢見ています。

特に私が惹かれるのは「サバイバルゲーム」というジャンルです。そこには、明確な目的がない中で、プレイヤー自身の工夫と知恵だけで過酷な状況を生き抜くという、究極の「生活」があります。リアルなモーション、容赦ない設定、そして物語の終わりがプレイヤーキャラクターの終わりという、極限の没入感。Steamで手に入る『プロジェクトゾンボイド』はその代表例ですが、私を惹きつけるのは、まさにこの「終末世界をただ生き残る」というサバイバル体験そのものなのです。900時間以上もの時間を費やし、あのモンスターハンターでの体験と同じように、時間が許す限り、私は「ゲームの中の人生」を歩み続けるでしょう。

 

このブログに込めた想い:ゲームが人生の支えになる理由


これらのゲーム体験は、私にとって単なる娯楽ではありません。モンスターハンターで人との繋がりの温かさを知ったあの経験。そして、セーブデータ破損という喪失を経てなお私を突き動かす「ゲームの中で生きる」という情熱。私自身がそうだったように、ゲームは時に人生の支えとなり、新しい世界を見せてくれる場所です。

だからこそ、このブログを通して、私の心に残るゲーム体験や、その中で得た気づき、そしてゲームへの深い情熱を皆さんと分かち合いたいのです。これらが、このブログを立ち上げた私の原点であり、この想いを皆さんに伝えたいと願う、何よりも強い理由です。

ゲーム好きを隠してきた私。人生を救ってくれた3つの名作

こんにちは、ZFONです。

前回、私は「ゲームが好きだ、と自信を持って言えなかった」という複雑な気持ちを話しました。世間では「ゲームは子どものためのもの」という見方があるし、私自身、今でもそう思ってしまう節があります。堂々とは公言できないけれど、このブログが、私の、そして同じような悩みを抱える人の「はけ口」になったらいいな、と今は漠然と思っています。そんな私ですが、これまでの人生で、たしかにゲームに「救われてきた」と感じる瞬間がありました。今回は、そんな私のゲーム遍歴を少しだけ振り返ってみようと思います。

特に印象に残っているものは、ニンテンドー64の「牧場物語2」「マリオストーリー」「カスタムロボ」の3つです。順番に紹介しますね。

 

牧場物語2:自分のペースで生きる喜びを見つけた安らぎの牧場生活

荒れ果てた牧場、期待を胸に踏み出した私の新しい世界は、静かな安らぎに満ちていました。

…何も無い!

何もかもがゼロからのスタート。そんな環境だからこそ、私はこの世界に深く没頭していきました。

現実の学校生活で感じていた焦りや疎外感とは無縁の、すべてが自分のペースで進む穏やかな日々がそこにあったのです。

このゲームは、主人公がおじいさんから荒れ果てた牧場を譲り受けるところから始まる、農作業シミュレーションゲームです。

朝起きて、まずは鶏や牛の世話。畑仕事に精を出し、汗を流した後は、街で買った焼き菓子や、裏山で採れた木の実が、私のご褒美でした。夜はゆっくり湯船につかり、たまに街の酒場でグラスを傾ける時間もひっそりとした喜びでした。
特に驚いたのが、ゲーム内で手に入るレシピが現実でも再現可能だったこと。
そうした細やかな設定が、現実世界では味わえなかった「自分のペースで生きている」という感覚が、私を深く満たしてくれました。この「牧場物語2」は、まさに「癒しゲームであり、「スローライフゲーム」として、私の「心の拠り所」となりました。

 

マリオストーリー:自由な発想で冒険し、私だけの居場所を見つけたRPG

ピーチ姫を救うため、星の精を探すマリオ。新たな物語が、私を自由な冒険へ誘いました。

このゲームは、宿屋で休んだり、コックに料理を作ってもらったりと、細部まで作り込まれた要素が、私にとってとても居心地の良い世界でした。

特に「ヘイホーのおもちゃ箱」ステージは、パステルカラーの背景に軽快なBGM、可愛らしいヘイホーたちの動きで、本当におもちゃ箱の中で遊ぶよう。ここから冒険は本格的に楽しくなっていきました。数多くのアイテムを使った料理も毎回ワクワクしましたね。「もし自分が冒険するとしたらこんな感じがいいな」と自由に想像力を掻き立てられました。ピーチ姫が大きなヘイホーにケーキを作るシーンでは、誰もが一度は材料を水や洗剤だけで作り、【とんでもないシロモノ】を作ったことでしょう。私は、ゲーム開発者の意図通りに動くだけでなく、自分の自由な発想で、思いっきり「遊ぶ」ことを楽しんでいました。マリオストーリーは私にゲームの中で生活しているような「確かな居場所」を与え、自由な発想で冒険する楽しさを教えてくれたのです。

 

カスタムロボ:強敵を乗り越え、諦めない粘り強さを手に入れたカスタマイズ対戦ゲーム

主人公は小さなロボットを操り、次々とライバルと戦いながら、強さを求め世界へと挑戦していきます。精神をダイブさせてロボットを動かすこのゲームは、もし現実で体験できたなら、どれほど楽しいことでしょう。自在に自分の意思だけで操って遊んでみたい。想像するだけでも、私の胸は高鳴りました。その世界に魅了された私をさらに引き込んだのが、カスタムロボの奥深いカスタマイズ性でした。

ゲームには、ロボット、ガン、ボム、ポッド、レッグといった豊富なパーツがありました。確かに、一部お手軽で強い組み合わせは存在します。しかし私は、より戦術的な戦いを求め、様々なパーツを組み合わせて試行錯誤を重ねることに喜びを感じました。実際、ゲーム内でもアドバイスされていた基本戦術は、ポッドやボムで相手を追い込み、トドメにガンで攻撃を決めるというものです。しかし、そんな奥深いゲームだからこそ、私にとって忘れられない挫折と、それを乗り越えたドラマがありました。

当時、最後のボス「ジェイムスン」という強敵が待っていました。圧倒的大きさ、攻撃力、防御力の前に絶望を感じていました。何度も負けて悔しい思いをしながらハンデをつけてやっと勝てました。ストーリークリア後はやりこみモードの激闘編があるのですが、発売当時は、すべてクリアできず、銅のトロフィー止まりでした。正直、その時は「これくらいで十分だろう」と諦めかけていたのかもしれません。しかし、その悔しさが心に残り続け、中学時代の最後に改めて挑戦しました。そしてついに、金のトロフィーを手に入れ、ジェイムスンもハンデなしで倒すことができたのです。

この経験を通して、私は「最後まで粘り強くやり抜く力」を手に入れました。

 

モンスターハンター:2000時間の狩猟がくれた、人との繋がりと卒業の目標

これまで一人で没頭するゲームが主でしたが、「モンスターハンター」との出会いが転機でした。オンライン協力プレイに戸惑いつつも、自ら掲示板を立ち上げ、仲間と深く交流するようになりました。そこでは、日常の雑談から互いの状況や職業まで話し合い、ゲームを超えた深い繋がりが生まれていったのです。

彼らとの交流はゲーム内だけに留まらず、掲示板で悩みを打ち明けると、「学校だけは卒業しておいた方がいい」と説得してくれたのです。 この言葉が学業に向き合う大きなきっかけとなり、無事に中学、高校を卒業できました。見知らぬ誰かと笑い、悔しさを分かち合う中で、私は人との繋がりの温かさを知ったのです。

モンハン以外でもオンライン対戦を楽しみ、これらの交流が2000時間超のゲーム時間を支えました。今ではほとんど連絡が途絶えましたが、一人だけはたまに連絡を取り合っています。

次回は、これまでのゲーム遍歴が、今の私にどう繋がっているのか、そしてこのブログに込めた本当の思いを、最後にお話ししたいと思います。